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ブログ

2019.Apr.16〔Tuesday〕

「つくるのではなく、育てる」-その2―

こんにちは、塾長の太田です。

先日、青年海外協力隊としてアフリカで活動することが夢の一つとお話してくれた、ある生徒さんのことにふれました。

その生徒さんが目標のお話をしてくれたときに、「持続可能な発展」についてその生徒さんと話しました。

今や、社会の試験で頻出のトピックとなっているこの概念、私は学生時代に文化人類学という学問を専攻していたのですが、その中の応用人類学という分野でのキーワードの一つでした。

私の大学時代の恩師は、国際連合のユネスコの職員でもあって、ゼミの仲間たちとラオスにフィールドトリップに出かけたこともありました。

所謂“開発途上国”で開発を行う際、“先進国”で考えられた開発計画をただ当てはめるのではなく、現地の事情に精通している人類学者が仲介役をするというのが、応用人類学の関わり方の一つ。

その際、現地の人々の教育も含め、伝統的にその地域で使われてきた資源や生活様式を活かした方法を考え、その地域の人々の手によって長期的に発展していけるようなモデルを構築・実践していくことが目指されます。

こうしたことを、塾での学びについて考えた場合はどうでしょうか。

それぞれの生徒さんは、ある特定の空間(家庭・地域・学校・広い意味での“コミュニティ”など)・時間の中で育ち、それぞれ異なったあり方をしています。仮に、画一化されたテストという対象に向かい、その対象に向かうための方法論がかなりの程度で確立されつつある現代においても、それぞれの生徒さんが知らないところで設計されたモデルを、ただ生徒さんの指導に当てはまるというのは、少し危険を孕んでいます。

経験的に色々なノウハウが蓄積された現代においてさえ、学習塾が一つに収斂されない事実が、それぞれの生徒さんの個人史・現代日本という大局的な歴史・学習塾というある形式の歴史・講師の個人史といったそれぞれの糸がどう絡み合うのか、一旦絡み合った後どうなるのか、結局は分からないといったことを象徴しているのではないでしょうか。

ただ、少なくとも、進化・進歩が一本の道であるという直線的なモデルがあまり良くないことは、間違いのないことではないかと考えます。

それぞれの生徒さんが形成してきた生活史に息づく“資源”や“世界に対する特定の姿勢”を活かし、そうすることによって、その生徒さんが長期的に前進していけるような学びとはどういったもので、そうした学びを一緒に模索するためにどうしたら良いのか、考えてはまた考える日々が続きます。

“真理”というもの(お互いに目指すもの)が、ただその生徒さんの外部にあるのではなく、また、ただその生徒さんの内部にあるだけのものではないとしたら、どうやってその“真理”に近づいていけるのでしょうか。

このことを考える上で、考えるヒントを与えてくれる文章があります。竹田青嗣氏によって書かれた『自分を知るための哲学入門』(ちくま学芸文庫)のp.70~71に載っている文章です。少し長くなりますが、その引用をもって、このブログを閉じたいと思います。

1 主観どうしの具体的な関係の外側に、客観的真理があって、それが見つけ出されるのではない。「ほんとう」は、関係の中から、関係によって創り出される。

2 「真理」、「ほんとう」は、それ自体として存在するのではなく、主観の間で、妥当、納得、相互了解の努力によってのみ導かれる。従って、「真理」、「ほんとう」の定立は、主観-客観の「一致」の問題ではなく、主観の間で妥当を作りうるかどうかという「可能性」の問題である。

3 妥当を作り出す「可能性」の前提となるのは、生きた主観どうしが、生に対するポジティブな(能動的な)欲望を持っていることである。

「妥当」を作りだす「可能性」を生み出すために、個別指導塾Minoriという場が、生に対するポジティブな欲望を持てる空間たりえ、さらには、主観の間で「妥当、納得、相互了解の努力」が行われる空間となるように、明日からも考え続けたいと思います。