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2019.Sep.10〔Tuesday〕
「やまとうたは、ひとの心(こころ)を種(たね)として、よろづの言(こと)の葉(は)とぞなれりける」②
「やまとうたは、ひとの心(こころ)を種(たね)として、よろづの言(こと)の葉(は)とぞなれりける」(『古今和歌集』)と題して、私が好きなことばを紹介させていただくコーナーです。
今回ご紹介するのは、カナダのピアニスト・作曲家のグレン・グールド氏の次のことばです:
「芸術の目的は、瞬間的なアドレナリンの解放ではなく、むしろ、驚嘆と静寂の精神状態を生涯かけて構築することにある。」
私事ではありますが、この1ヵ月のあいだ、さまざまなことがありました。
そうした一連のことは、朝の陽光が寝ている私を照らそうと、それはスローモーションの柔らかい光の照射ではないような。また、舞台の上の出来事を見ることによってひきおこされるような情緒の経験が、日ごろ心の中に鬱積している同種の情緒を解放し、それにより快感を得る“浄化”(カタルシス)という“仕掛け装置”には収まらない、日常の出来事のなかのいくつかの出来事の一つの経過点のことです。
そうしたことと並行して、個別指導塾Minoriでは、様々な日常の力学の交差点の中で苦悩する生徒さんと対峙する状況があり、指導する側に立つ不器用な私は、“愛情”・“愛情という名のもとの指導の厳しさ”・“それがエゴイズムなのかどうか”といった、自分勝手に構築した交差点の中で苦悩しています。
帰宅後、私のくろずんだ手は、埃にまみれたCDラックの中の『eastern youth』のCDを漁っていました。
何年か振りに、『eastern youth』の曲を聴きました。
「矯正視力〇・六」、「踵鳴る」、「素晴らしい世界」。久しぶりに聞いた記憶に残る曲を再生すると、涙が溢れ出てきました。
ただ、今日、気づきました。その涙は、全てを瞬間的に“浄化”するものではないと。
『eastern youth』の曲のメッセージを、歌詞の字面や雑誌の切り抜きを保存することで、“理解”したつもりになっていた自分が恥ずかしくなりました。
ある雑誌の切り抜きの“見出し”にはこう書かれています(『eastern youth』吉野寿氏のことば):
「音楽以外に用事はないな、
音楽でしか世の中と関わっていけないな、
と腹を括ったんですよ」
“ある覚悟”をともなったものでしか伝えられない何か。
それは、正のベクトルをもった諸々の想いと、負の方向性に傾斜する諸々の感情を、一瞬にして“浄化”するのではなく、永遠の“祈り”のなかで、何とか紡いでいこうとする何か。
腹を括って、この仕事をさせていただいています。
改めて、この仕事をさせていただいている自分の腹が腐っていないか確かめるべく、静かなピアノの旋律と激しい歌詞と音の閃光が、私の腹を突き抜けていきます。
その“かたち”が異形かそうでないか、正解は最後まで分かりませんが、責任を背負って、腹を括って、生徒さんと関わっていく覚悟を改めて感じております。