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ブログ

2022.Oct.9〔Sunday〕

「大人になったら」

こんにちは、塾長の太田です。

表題は、ロックバンド“GLIM SPANKY”の楽曲を指しています。

思春期のころにくらべ、意識的に音楽を聴くということは少なくなっています。

ただ、知らず知らずのうちに、聴いている曲があります。

それが、表題曲。

歌詞は、空で言えるほど“覚えていない”としても(もちろん“伝わっている”と分析できます)、とにかく、何百回もリピートしている曲。

その曲は、“さすらう”多くの人のこころの軌跡を、短時間で描いているかのようです。

“大人”になるにつれて、見えなくなることがあること。

私のようなオッサンのこころに突き刺さります。

分かりやすい“物語”にぶらさがって、何かを分かったつもりになっているのではないか。

大人になっても鼻水たらしているような私のような者に、過去と未来を同時に照射するような問題提起をしている歌詞(空で言えるほど覚えていないとしても)がひびきます。

そうしたことを考えていると、ハナムラチカヒロ氏の『まなざしのデザイン』の中の、次のことばが想起されます。

「大人は物事の原因と結果を考えるが、子供は自分の行動の結果がどうなるのか予測できない。物事の順序、組み立てや成り立ちがうまく捉えられず、因果関係で物事を捉えない…。だから子供は成長と共に想像力の方向性が整えられていく。世界の成り立ちを知り、物事の因果や構造を学び、自分の振る舞いを客観的に眺めるようになっていく。そうやって、これまでしていた突拍子もない想像をやめて、大勢の人間が抱いている想像へと次第にチューニングしていくのである。」

「…同化するというのは別の言い方をすると距離がなくなるということである。距離がなくなり自分が風景の中に入ってしまうと、それを外から引いて眺めることが難しくなってしまう。それは私たちが身につけている衣服のようなものだ。衣服は自分と同化しているので外から眺められない。脱いだ時にそれはようやく風景になるのだ。」

以上のことを、学習塾という文脈で考えたとき、狭義の“勉強”や“テスト”という衣に、講師である自分自身や、それ以上に生徒さんを収めようとしてはいないか(毎朝、起床して、“裸”のまま外に出るわけにはいかず、衣服を着るという象徴的行為により、何らかの役割をになうということが、特定の視点に収まらざるをえない“現実”を物語ります)。狭義の“勉強”や“テスト”に立ち向かうために、何らかの“衣”は必要だとしても、素材を活かすような“衣の厚さ”を見きわめる(そうした“衣”から、外界や別の視点が透けて見えるだけの余地を保持する)ことが、見えない脂肪をたくわえることを余儀なくされる“大人(オッサン)”ができることであり、そうしなければならない、と感じます。