ブログ
2022.Sep.6〔Tuesday〕
ある生徒さんが、ショックだったことについて語ってくれたことに関して(触覚が同様の方向性に向いていても、立場によって触覚がふれているものを同一化することは困難でありながら、何かを感知することで、何かが開ける可能性を感じることに関して)
こんにちは、塾長の太田です。
先日修学旅行に行かれた、ある中学3年生の生徒さんの授業がありました。
その授業の中で、修学旅行の後にショックだったことについて話してくれました:「3日間ギターの練習ができなかったため、指が動かなくなっていた」。
多くの生徒さんが、一週間に一回か二回、塾の授業にお越しいただいています。そうした中で、塾での指導をさせていただいていて、「勉強をすることができなかったため、問題を解けなくなっていた」という悩みを耳にすることは、ほとんどありません。
その気持ちをきいて、勉強もギターの練習と同じであるという陳腐なことを伝えざるをえないのは、お金をいただいて指導をさせていただいている身の上だからでしょうか。そうした事実を伝達すると同時に、自然と音楽談義に花がさきました。
その生徒さんは、帰り際に、私に音楽に関する質問を投げかけてくれました。
以上のやり取りを通じて、私は、最近、感じるようになっていた“鼻毛”に関する迷宮の旅へといざなわれました(仮にご興味をもっていただけた方は、次のブログもご覧いただけますと幸いです)。