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2023.Jun.26〔Monday〕
“お辞儀”と“中世の銭貨”
こんにちは、塾長の太田です。
先日、当塾を卒業された現在高校3年生の生徒さんが、親御さんと一緒に、当塾の前で立ちどまってくださって(私は、奥のスペースにいたため、すぐに気づくことができませんでした)、“お辞儀”をしてくださいました。
生徒さんに教え育てられている私としては、卒業された生徒さんがそうした行動をしてくださることは、本当にありがたいことです。
表題の“中世の銭貨”は、紐でくくられることがあり、土中に隠されることもあったようですが(東京大学入試問題など)、(いまは)金銭関係でつながれていないなかで、土中に隠されない体裁で挨拶をしてくださったその生徒さんとご両親に、私は、銭貨が鋳造されるときのような、もともと“決まったかたちのない存在”が融解されているときに感じるような感覚を想像させていただいた次第です。
講師という実体のない“鋳型”が、生徒さんによって融解させられて、常に新たな造形を帯びることを、あらためて教えていただきました。
講師は、“錬金術師”のような存在ではなく、それぞれの生徒さんに潜む、硬直した何かを、一緒にやわらかに変えていく可能性に関する感受性を高めていくことにしか、生きる術はないと、その生徒さんから、あらためて教えていただきました。