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2022.Aug.21〔Sunday〕
偶然の出会いその1:「おげんさん」
こんにちは、塾長の太田です。
先日、ある経緯でふとテレビをつけたときに、放映されていた番組に、目がとまりました。
その番組は、NHKの『おげんさんのサブスク堂』という番組。
星野源氏と共演されている方は(テレビの情報に通じておらず、最近、母親が好きでみている『孤独のグルメ』の記憶があり)…、やはり松重豊氏。
お二方の青春時代における印象に残っている曲や最近気になっている曲などが紹介され、お二方の人生・生活ににじんでいる音や、特定の音とむすびついた感覚的な記憶が、現在におけるお二方の”語り(ナラティブ)”と“混醸”されて、奥行きのある番組でした。
帰宅後(出社前)、授業の準備をしたり、ひろい意味での勉強をしたり、読書をしたりといった生活のため、新聞などの番組表をチェックしてテレビをみるといったことはありません。
したがって、その意味では、上述したようなことは、“偶然”の出会いともいえます。
たとえば、酒をのんでいて食べ物を欲し、自分の部屋からテレビのある1階におりていき、何か食べるときにテレビをつけるといったとき。たまたま放映されていた番組から、得るものがあったとき、暴飲暴食をしている“罪悪感”が贖罪される契機となります(このようなことが多々あるため、自分の非合理的なおこないを合理化・正当化するといった判断を脇において、“目に見えぬ力”の存在を信じている次第です)。
先日、お盆休み中に、同じような経緯から、画面上にたまたま映った番組が、当該番組(先ほど使った“混醸”という表現は、そのときのんでいた「楽器正宗」という銘柄のお酒の裏ラベルの表現を借用させていただいたものです)。
出演者の方々の音楽への熱量を感じるとともに、音楽がもつちからを再認識しました。
また、小学生から高校生まで、音楽教室にかよいバンド活動をしていたこともあって、現在指導させていただいている生徒さんと、自分が同じような年代だったときの、色々なことが思いだされました。
上述したような感動は、もちろん、出演者の方々の語りによるところもあるのですが、他方で、音や映像から喚起されるものによる部分も大きいと感じます(当該番組に関しては、そうしたことが相互作用していたところが最大の魅力でありました)。
“感覚”と“ことば”。
塾講師は、主としてことば(観察や態度をふくめ)により、現実に起きていることの尻拭いをしている存在にすぎません。
しかし、生徒さんと相対しているなかで、希望を捨ててはいけないと自覚しています(覚悟しているといった方が正確かもしれません)。
ことばには、事象を限定するだけではなく、ある特定の圏域で生をともにしている諸経験によって、必然・偶然にかかわらず形成されてきた“共通認識”を喚起できる面もあることを認識したうえで、何かしらのきっかけをつくることができることを希求し、それに向かい努力をしつづけることの大切さを、あらためて感じています。