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2023.Jun.22〔Thursday〕
“切りとられた一部”と“物語”
こんにちは、塾長の太田です。
表題は、『愛のコリーダ』の題材となっているとされることもある、“昭和史に残るあの事件”のことを指しているのでは、もちろん、ありません。
“去勢された牛”のように、継続して勉学という草を反芻する必要性があるこの職業のなかで、そうした”職業的愉悦”の他に挙げられる楽しみの一つが、MLBをみることです(テレビを通じてではありますが)。
私は、かなりの天邪鬼ですが、大谷翔平氏の活躍をみることからは、大きなよろこびを感じます。
大谷翔平氏が活躍された動画は保存しており、腹が出てきた私にうってつけの酒の肴は、そうした動画です。
ただ、時間が経過すると、一本のホームランの動画をみただけでは、リアルタイムでみていたときの感覚は喚起されにくくなることに、あらためて気がつきました。
そうした時間の経過が、一日・二日後のことであったとしても。
人間は、日々、苦悩するなかで生きているため、感動が一日・二日後のことであったとしても、その脈絡を忘れてしまうことは、自然なことであることを、痛感します。
そうした感動をふたたび呼び起こしてくれるのが、試合全体の展開がわかる動画と一緒にみたとき。
やはり、“物語”のなかに置かれた瞬間、過去のことであっても、そのときに感じたこころの動きが、鮮明によみがえってきます。
さまざまな事象について、そうした観点から考えることの重要性と、そうしたことを、日々の指導にいかしていくことの必要性を、あらためて感じています。