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2020.Jun.9〔Tuesday〕
当塾の本棚の一角にある、ゴムの木―その二律背反的なたたずまいー
こんにちは、塾長の太田です。
本当に有難いことに、本日で、当塾が開校して二年が経ちます。
当塾の“住人”の中には、開校前に贈っていただいたり購入したりした、観葉植物がいます。その中に、本棚の仕切りを超えて急成長を続けている植物がいます。
当塾をオープンするときに、床から天井までつづく本棚があると、生徒さんが空高くまで伸びていくイメージと重なっていいなと思い、大工さんにお願いして特別な本棚をつくっていただきました。
その一角に置いたのが、ゴムの木。
ゴムの木には、定期的に私が水やりをしています。
“リアップ”という神々しい液体を毎晩ぬりこんでいる私の頭皮を、塾内で俯瞰する位置にあるその存在は、私の努力が足りないことの警鐘を伝える神のつかいとも解釈できます。それとも、全ては“人間中心的”で“自己中心的”な解釈をする私を嘲笑しているだけなのか。いずれにしても、私の人間中心的な解釈を超越している存在に映ります。
たとえそうだとしても、“人間中心的”な解釈をさらに加える誘惑にはあらがえません。ゴムの木は、“当人”が知ってか知らずか“永遠の幸せ”という花言葉をもち、土が乾いていないのに水を長く与え続けると根が傷んで根ぐされをおこす可能性があるとのことです。
少なくとも、ゴムの木が置かれている塾に蟄居する塾講師にとって、“永遠の幸せ”は望むべきものではないことはもちろん(毎日、ゼロ地点に戻って再スタートのくり返しです)、生徒さんにそれを望むことはできてもその実現に寄与する力は持ち合わせておりません。また、狭義の勉強において、“土が乾く”ことがあるのか分からない状況のなかで、どのタイミングでどのように“水”をどう与えるかということだけを考えると、砂漠の中でオアシスを探すようなものです。
ただ、この二年間で、生徒さんや植物に教えてもらったことがあります。
生きとし生けるものには、光の当たる方向にのびていくという“本能”があることを。
塾講師には、光をあやつることも、光がさす方向を定めることも、できません。光をもとめて、常に探究し、努力する以外に道はありません。
その当たり前のことを当たり前にできるように、この二年間を通して生徒さんからいただいたことを明日からも意識して、生きていきたいと改めて感じています。