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2020.Sep.20〔Sunday〕
淡雪
こんにちは、塾長の太田です。
私事で恐縮ですが、この一週間、点滴治療を受ける機会がありました。
塾の業務に直接は支障のない、日曜日・平日午前中の治療であったため、多くのお客様にご迷惑をおかけする事態は避けられましたが(ご迷惑をおかけしたお客様は、本当に申し訳ございません)、この機会に多くのことを学ばせていただきました。
一時は歩行も困難になるほどの症状でしたが、通院する過程で、忘れかけていた“不思議な感覚”を感じることがありました。
以前のブログでふれたことがあったかと存じますが、詩人の室生犀星氏や哲学者の中村雄二郎氏は、ふとしたことがきっかけで、女性への執着を抱くことがあったようです。
偉大な両氏の“実体験”を盾に、私が抱いた“不思議な感覚”を根拠づけるつもりは毛頭ございませんが、それでも筆を進める誘惑にはあらがえません。
通院する過程で、本当に素敵な看護師さんにみていただく機会がありました。
以前に述べさせていただきましたが、私は、世の中で重んじられる一切の物理的なものは持ち合わせていない存在です。
その私が、“恋心”を抱くなど“客観的な見地”からはありえないことは、心得ております。
ただ、淡雪のような恋心を抱く機会があり、とても不思議なこころもちになりました。
その感情は、不可解でありながら、私が普段お客様として接している“中学生”であったころの自分のなかにあった心境に、何だか通じるものがあるようなものでした。
それは、一言でいえば、“不可能ななかでの可能性の泡粒を認識した瞬間”とでも言えるものでありましょうか。
こうした一連のことを、ある授業で生徒さんにお伝えしたところ、その生徒さんがおっしゃいました、「大丈夫ですか、心配です。でも、いつも通りの先生で安心しました」。
隣にいらっしゃった芸能界入りが予想される女子生徒さんの口角が上がっていたことが、そのマスク越しからも、うかがえました。
当たり前のことではありますが、自分は有限な存在にすぎないという事実を改めて認識させられた局面で、私の脳裏には、普段お越しいただいている生徒さんたちの存在が浮かびました。
生徒さんたちからは、本当に多くのことを学ばせていただいています。
つい先日の生徒さんたちの言動が想起されます。
「その問題、次回もう一度解かせてください。」
「(できなかった問題に対して)この問題、おもしろいです。」
「(自習に足しげくお越しいただいている生徒さんが)勉強はもともと好きではありません。」
また、計算の過程をかくことを少しずつアドバイスしていた生徒さんが、ついに計算の過程をかくようになった瞬間(これで問題解決ではありませんが)。
“塾に来ることが楽しい”とおっしゃっていただいている生徒さんたち。
“塾に来ることは楽しい”様子は微塵も感じさせずとも、自習に足しげく通っていただいている生徒さんたち。
“不可能ななかでの可能性の泡粒を認識する”私のような存在も、生徒さんとの授業のなかで、“可能性を想像する”存在に格上げさせていただいているような感覚があります。
生徒さんは、“可能ななかでの可能性の泡粒を希求する”存在であるはずです。
“大人”となった塾講師がその事実を改めて認識すべきことと、そうした存在になることを目指す勇気を、生徒さんから頂いていると改めて感じます。