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2019.Sep.28〔Saturday〕
“金科玉条”
こんにちは、塾長の太田です。
この仕事に就く前は、塾の仕事もふくめて、色々な仕事をさせていただいておりました。
以前、お世話になった先達に、仕事の悩みを打ち明けたことがあったのですが、そのときに教えていただいたことが、「他人を変えることはできない」ということ。
その方が、自分の倍以上も経験されてきたことに裏打ちされたそのことばが意味することは、澄んだスープのような空を見るように明らかで、グツグツ煮え立つ寸胴の底辺でワチャワチャ音を立てるカルイ私の経験も、納得して黙る説得力をもったものでした。
思春期にある中学生の皆さんからは、親御さんからのプレッシャーに関して、いろいろなお話をしてもらっています。
そんなときは、自分が中学生だったときのことを棚にあげて(その実情もしっかりお話した上で)、“それは愛情のあらわれで、受け入れるのが一番で、親御さんがそうしたことを皆さんに伝えることを変えることはできない”とお話しています。
そうしたことをお伝えしたあと、自問自答すると、“自分の受けとめ方を変えるか”、それか、奇跡にも近い“自分の圧倒的な努力によって、相手の観方を変えるか”という究極的な問いに煩悶するのが常です。
ただ、今日、生徒さんたちとお話していて、気づかされることがありました。
色々な話が展開される中で、ある生徒さんが、「先生が一番幸せだったときはいつですか?」という質問を投げかけてきました。
私がどう答えたかは申し上げられませんが、この仕事をさせていただいていて、“生徒さんを変えることができた”と思ったことはありませんが、“生徒さんが変わった”と思う場面には、少なからず出会わせていただきました。
全ては、生徒さんの中で生じたことであることに相違はありませんが、そうした瞬間を目の当たりにできる仕事をさせていただいていることに、感謝しています。
“生徒さんを変えること”はできないとしても、“生徒さんが変わった”と思う場面に多く立ち会わせていただくにはどうしたら良いか、悩み続けるのがこの仕事ですが、金科玉条のようなクリアなスープの湯気に隠れた絶望のような希望を、湯気をつかむように希求していこうと思います。
蛇足ですが、世界3大ハムの1つに数えられる“金華火腿”は、切った断面が火のように赤いことから「火腿」の名がついたそうです。
ブログを打つ私の手から私の腹に視線を移すと、紐で縛られたハムのように波打つ腹がそこにいます。
私の腹を切ると、切った断面が赤いのか、黒いのか。
生徒さんに希望をもらっている以上、黒い石炭は赤く燃焼しつづけることができると祈り、そうできるようにすることが、私の責務です。