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2021.Sep.4〔Saturday〕
長兄(ヴェニス) と次兄(日本の川)
こんにちは、塾長の太田です。
有難くも、当塾に長く通ってくださっている生徒さんに、W・Yくんがいます。
4年前に通い始めてくださった頃は、あどけなさが残る少年の面影でしたが、今や、高身長で、ルキノ・ヴィスコンティ監督作の『ヴェニスに死す』のオーディションが今行われたとしたら、それに合格するかもしれないと言えるほどの美少年に成長しています。
その彼は、常に変化する水面のように、授業中も、アンニュイでつかみどころのない表情を浮かべることが多く、そうしたことを、私は肯定的なことと受けとめています。そうした中、常に当塾に彼を送り届けてくださっているご両親に、感謝の念を抱きつづけています。
その彼が、最近、短く急流な日本の川の流れのような様相を呈していることに、感銘をうけはじめた自分がいたのでしょう。本日、好きな音楽を、ヘッドフォンで大音量で聴くと、その彼の姿が、自然と想起されました。以前は、自分の気持ちをコントロールする目的で聴いていたように思える大好きな音楽ですが、最近は、気が赴いたときにのみ聴くように、自然となっています。そうしたときに、頭に浮かぶのが、いま、自分が、深い感銘を受けていることです。
高身長で伸び盛りの彼のウェストは、私の眼の位置にあります。身長が低く、短茎の私は、彼の次兄(次茎)になりつつあります。彼が私の眼の届く距離・範囲にいるうちに、彼が能動的な姿勢をもっているこのときに、短くはかないながらも、私の持っている全てを伝達することができたらと思うのは、この時期もう声をきくことができなくなっている蝉のことを思ってのことなのか、いやそうではない、短茎・短命(生徒さんに比べて)の私が、この声を届ける瞬間がこのときしかないと思うからなのか。
いずれにしても、講師も生徒さんも、老いゆく者も思春期の中で悩む人も、複雑な流れの中で生き抜かざるを得ない人生の中で、講師は、生徒さんの潮目が変わる瞬間をつかむことにその命を捧げる努力を惜しまずに生き続けることが大切で、そうしたことにしか生きる術はないと、感じております。