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個別指導塾|安曇野市穂高|Minori

ブログ

2019.Jun.17〔Monday〕

“テーブル”(卓球台)の上の“ロールケーキ”(”丁寧”選手謹製)

こんにちは、塾長の太田です。

開業前に、生徒さんを指導させていただくにあたり、大切なことをご教示いただいた数多の本を、自戒の意味を込めて、塾の書棚に並べました。

その本の中の一冊に、株式会社パティシエ エス コヤマ創業者・代表取締役の小山進氏が書かれた『丁寧を武器にする』(祥伝社 )という本があります。

その内容に関しての説明は割愛させていただきますが、開校以来、私が続けていることがあります。

中長期学習計画表・テスト分析表・毎月の指導報告書の作成です。

生徒さんの役に立っているかどうかは分かりませんが、塾での指導の細かいことを生徒さんが親御さんに話すことを想定することは現実的ではないため、親御さんへの指導内容の御報告という意味もかねて、さらには、忙しさの中で授業が惰性的なものにならないようにするという意味で、講師である自分のためにもしています。

そうしたことを考えるとき、森鴎外の随想「サフラン」が想起されます。「サフラン」には、次のようなくだりがあります。

「鉢の土は袂屑のような塵におおわれているが、その青々とした色を見れば、無情な主人も折々水位遣らずにはいられない。これは目を娯ましめようとする Egoismus であろうか。それとも私なしに外物を愛する Altruismus であろうか。人間のする事の動機は縦横に交錯して伸びるサフランの葉の如く容易には自分にも分からない。」

もしかしたら、生徒さんに書類を渡しても、鞄の中に潜んだままになっているかもしれません。有難いことに、生徒さんが増えてきて、時間的な意味でも、上述した資料を作成することに意味があるのか、それが生徒さんの役に立っているのか、そもそも何のためにしているのかが、分からなくなる瞬間もありますが、少なくとも講師である自分のためになっていることは間違いないのではないかと考えています。「課題の切り分け」をして、計画を立てたとしても、生徒さんとの授業はそのときそのときのライブの“ジャムセッション”のようなものであるため、生徒さんがやりたいこと(勉強で困っていること)も変わります。ただ、それでも、日常生活の“忙しさ”というブラックホールのような大海原において、そうした資料は、私の明確な地図となっていることは間違いありません。

卓球台の上を絶えず行き交う玉のように、様々なことや思惑が交錯する青春時代。

疲れた身体が欲するのはロールケーキをまるごと貪ることですが、勉学という土台の上での講師の役割(role:ロール)としては、まるごと貪っては消化不良を起こす可能性があることについて、切り分けて生徒さんに提供することも必要なのではないかと感じつつ、上述したようなことを考えた次第です。