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ブログ

2022.Oct.21〔Friday〕

一枚のCD

こんにちは、塾長の太田です。

先日、ある生徒さんと音楽について話していたときのこと。

今は、音楽を簡単にダウンロードすることができるなかで、「CDを買うこともあります」とは、その生徒さんの言。

一枚のCDからは、全体を通しての世界観(ある特定の時代に、あるミュージシャンが思考し、表現していたときの空気感のようなもの)を感じることがあります。

また、一枚のCDを聴くということは、(曲を飛ばさないで聴くと仮定したとき)自分が聴きたい曲だけを聴くのではない姿勢を、CDの側がこちらに要請するといった側面もあります。自分で選ぶことができないという“不自由さ”のなかで、見えてくるものもあるのではないでしょうか。

さらに“不自由さ”を強いるのが、カセットテープ。お気に入りの部分が来るまで、じらされるので、余計に気分が高揚することがあったり、早送りや巻き戻しの技術が自分でも気づかないうちに上がり、そうしたことに悦に入る瞬間があったりします。

蛇足ですが、中学生のときに、こっそり観ていた特定ジャンルのビデオテープ。家族が帰ってきて、慌てて停止しようとしたときに、録画ボタンを押してしまって、一番のお気に入りの瞬間を映じる場面が、そのとき放映されていたテレビ番組の一コマに置き換わってしまったなんていう記憶もあります。

“不自由さ”を余儀なくされたカセット・ビデオテープやCDに、私の思い出がつまっているという事実に、単線では整理できない私という存在が、ヨレヨレのものであるという“弱さ”を教示してもらっているような感慨をおぼえます。

また、特定の物質が手元になくても楽しめるものという意味では、電子書籍についてふれないわけにはいきません。私は電子書籍は利用しませんが、インターネットで本を購入することが、多くなっています。

そうしたことが便利である反面、大きな書店に行ったり、図書館に行ったりするときは、インターネットで本を購入・閲覧するときとは、見える景色が異なります。

知の“迷宮”を前にしたときの、眩暈と気分の高揚を同時に感じる瞬間。

図書館司書の方が、知の堅固な門番であるとともに、深く魅惑的な森へと誘う妖精に見えてきます。

その深淵な森のなかで、無数の本の背表紙を目にして、予期していなかった書物に出会うよろこび。

鷲田清一氏は、『つかふ 使用論ノート』のなかで、目的地に向かって最短の道をとる方法に対する、散策の道・回遊の道としてのランドネ(遊歩道)に関して、次のようにおっしゃっています。

「方法的な直線の道は、鉄道やハイウェイのように平原を掘り起こし、山や谷を突き抜けて最短距離で進む…。これに対してランドネの道は、風景と折りあいをつけながら、ときに風景のその襞のなかに紛れ込んだり、社を迂回したり、別の道に通じたりして、うねうね進んでゆく…。思いがけないものと遭う。用がないものにも目を向ける。自分が方法の道の上にいればぜったいにふれられないものに、ふれるのである。」

上述したようなことを、学習塾という文脈でかんがえたとき、場合によっては、目的地に向かって最短の道をとる方法を選択する場面もあるなかで、わすれてはいけないことがあると、あらためて感じています。