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2020.Feb.13〔Thursday〕
”気球”と”希求”
こんにちは、塾長の太田です。
先日、とても有難いメールを頂戴しました:
お世話になります。
昨日は授業ありがとうございました。
「しょうめい問題、すごく楽しいよ。お母さんやってみる?」と、嬉しそうに話してくれました。理解できるようになったから、どんどんやりたい!!そう思ってくれる様になり、有り難く思います。
今日も自習しに伺います。
よろしくお願いします。
このメールを頂戴した生徒さんは、点数も伸びているのですが(点数は上がる・下がるに関わらず、往々にして変動がつきものです)、私が一番うれしいのは、生徒さんの姿勢に変化がおこり、その結果として自信がもてたり、将来にわたって大切になる“自分のちからで壁を乗り越えていく姿勢”が芽生えたりといったことを感じることができるときです。
授業をしているときに、私が気をつけていることは、私の勝手な青写真や計画を生徒さんに押し付けないようにすることです(もちろん、最低限度の出発点として、緻密な計画を立てて授業に臨みます)。
私が勝手につくった計画を無理やり遂行したり、パフォーマンスをしたりして、一時の自己満足に浸ることは容易ですし、また、生徒さんに自分の力で考えることを促すことはときに苦しさもあります。
ただ、やはり、生徒さんが一番うれしそうな顔をするのは、自分の力で問題を解けたときです(そうしたとき、思わずガッツポーズをする生徒さんも少なからずいらっしゃいます。ガッツポーズをしがたい控えめな生徒さんに、不器用な私の控えめなほめ言葉を不器用にかけると、心からの微笑みを投げかけてくれることもあります)。
“何をどこまで教え”、“何を直接言わないのか”は、目的・状況・それぞれの生徒さんのそのときどきの様子によって、常に変わります。
塾講師は、観察することを出発点に、生徒さんとともにする時間と空間のなかで、お互いに硬直した何かが解放されて、何かが生成する瞬間に立ちあえることを希求する以外に居場所はないと、改めて感じます。
“気球と希求”の比喩に基づいて言うのなら、私は、生徒さんに“きっかけ”や“はずみ”をつけていただくことを希求する“ガスバーナー”や“ガス”のような存在です。
狭義の“学習”で逆説的なのは、“勉強に対する前向きな気持ちが膨らんで初めて、勉強に対する気持ちが軽くなる”ということです。
このことは、気球が空高く飛ぶ原理に呼応しています:中の空気をあたためると、空気は膨張する→膨張した分の空気は入口からあふれ外へ出る→あふれ出た空気の分だけ、軽くなる。
ただ、前述したとおり、いきなり高温度で熱したのでは、全てが台無しです。ここでも、空気・ガスを調節する加減にたどり着きます。
私にできることは、生徒さんの気持ちが膨らみ、前向きになる熱をどのようにすべきか、指導させていただく私が暴走しないように、自らに細々と灯る炎を調整し続けることです。
そうした作業を続けながら、生徒さんが無限に上昇する気球のように空高くはばたけることを、祈りつづけます。