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2023.Mar.18〔Saturday〕
軋むリズム
こんにちは。自転車通勤をしている、塾長の太田です。
自転車通勤のよいところは、季節のうつりかわりを、肌で感じることができるところ。
ただ、夜は、視覚的な感性が、ややにぶります。
それにもまして、つねに鈍っているのは、指導以外の私生活全般の実用的なちから。
たとえば、自転車通勤ということに関連していえば、自転車のカゴがこわれて久しく、結束バンドで応急処置をほどこして、なんとかやり過ごしています。
先日の帰宅途中。
突然、バリ島で感じたような“風”が。
結束バンドでかろうじて体裁をととのえているカゴと(指導資料がたんまり入っている“カゴたる胃袋”は垂れ下がっている状態です)、前輪上部の金属カバーの部分が、不規則ながらも一定のリズムでふれあい、そのときに生じる音が“ケチャ (kecak)”のように感じられました。
“雑音”が“記憶”と溶けあうなかで、そうしたリズムを心地よく感じていると、道路の起伏がはげしい場所にさしかかり、転じて、“8ビート”の律動に。
そして、その後は、初心者が演奏するバイオリンのような音に。
そうした“変奏”が偶発的に起きたのは、現在のところ、それが最初で最後です(軋む音が生じることは多々ありますが)。
偶発的なことにこそ、“うつくしさ”がひそんでいると、あらためて感じます。
ただ、偶発的なことは、“こちら”の感受性を高める努力をしていないと、“あちら”からはやってこないとも感じます。
全く異なる人と人が出会う塾という場で、偶発的な美を感じることが多くあり、それだからこそ、この仕事をつづけることができるのではないかと感じています。