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個別指導塾|安曇野市穂高|Minori

ブログ

2023.Jun.1〔Thursday〕

凹凸

こんにちは、塾長の太田哲です。

表題に関して。

小学生のころ我が家にあって、よくあそんだ『凹凸式神経衰弱』(1986年に発売されたプラスチック製カードゲーム)。

少しだけ、“アダルト”な逸品です。

体の凹の部分と凸の部分を合わせるパーツを選ぶことができるかが、勝負の決め手です。

また、凹凸に関して、双方が両義的な性質を有する場合があることに思いを巡らせたとき、『論語と算盤』のなかの渋沢栄一氏の次のことばを想起します(守屋淳氏の訳)。

「だいたいにおいて人のわざわいの多くは、得意なときに萌してくる。得意なときは誰しも調子に乗ってしまう傾向があるから、わざわいはこの欠陥に喰い入ってくるのである。」

上記のようなことを思い出したきっかけは、2か月ほど前に、99歳の祖母が亡くなり、火葬場に行くときに、母親と交わした言葉。

「お坊さんに、いくら払うと思う?」

「…」

「50万円。」

お札を何枚もかさねて、凸にしなければ、凹は解決できないということも納得できます。

お坊さんは頭を丸めて、お金の凸を頭で凹にして、バランスを確保しているのではなんて、つい妄想してしまいます。

そうしたことを考えていたからか、先日、気がつくと、夜明け前にバリカンを手にして(理由は覚えていませんが数年前に購入していました)、丸刈りにしていた自分がいました。

身体的な側面において、腹が出てきた事象について、平衡的な状態を目指そうと悪あがきをしたのか。それとも、精神的な側面において、自分のこころに何かひっかかるものを感じていたのか。はたまた、祖母が亡くなったことと、そうした出来事をめぐる母との会話のなかで、何か無意識のなかで作用することがあったのか。

いちばん近くにあるようでわからないものの一つが自分のこころで、解は見つからなくとも、諸様相において毎日自らを修練していくことのなかにしか、“やすらぎ”のようなものは浮遊しないと感じています(そうしたことが、瞬間的なものにすぎないとしても)。